余計なものを見ないこと。

つらつらと書き連ねている「今日ちょっとグッときた言葉」を時々読み返すのだが、次々と読んでいると、ふと「何が書かれているか」よりも「誰が発した言葉か」の方に気持ちがいってしまっていることに気づくことがある。
同じ言葉でも誰が言ったかによって重みが違う。確かにそういうことはあるのだが、その言葉が本来持っているものによけいなフィルターがかかってしまうようで、そういう読み方はしたくないなと思う。美術館で、かかっている絵を見ないで、その横にある絵の解説ばかりに目をやるようで。
いろいろな情報があればあるほど、たくさんのことを知ることができるような気になるのだが、かえって本質的な部分が見えなくなることもあるから、自ら情報を遮断して見ないようにすることも時には大事なのではないかななんて思うのだ。